平成ダービー馬の肖像


30頭の平成ダービー馬をピックアップ

新型コロナウイルス感染拡大予防の為に中央競馬会からフリーランスのカメラマンへの自粛要請が続きお家時間が増えたのでTwitterにて写真のリクエストを募集したところ「歴代のダービー馬を見たい」というリクエストが来たので平成ダービー馬の肖像シリーズとしてUpしたものをブログにてまとめたいと思います!

1・平成元年の覇者ウィナーズサークル(初の芦毛のダービー馬)

ワタシ自身初のダービーは史上初の芦毛馬が制するという歴史的なシーンに立ち会えることが出来ました、上手く表現は出来ませんが当日の東京競馬場はピリピリとした雰囲気で「やっぱりダービーは違うなぁ」と思ったものです。

2・平成2年19万人のナカノコール、アイネスフウジン

未だに破られていない中央競馬の、いや日本のスポーツにおける最多入場人員(19万6517人)を記録した平成2年のアイネスフウジンはゴール後に鞍上の中野騎手に対して「ナカノコール」が沸き起こり大歓声でスタンドが揺れるような体感をした記憶があります。

3・平成3年無敗の二冠達成、皇帝の息子の帝王ことトウカイテイオー!

史上初の無敗の三冠馬シンボリルドルフの息子のトウカイテイオーが人気に応えて親子二代による無敗の二冠を達成! レース後に骨折が判明し三冠馬の夢は叶いませんでしたが有馬記念の劇的復活などイケメンながらドラマ性を持った人気のある馬でした。

4・平成4年二年連続無敗の二冠、筋肉の鎧をまとったミホノブルボン!

坂路調教の申し子としてスパルタに鍛えられたその筋肉は鋼のような鎧をまとったようでサイボーグのようでした、血統的な不安をものともせずに無敗の三冠に挑むも惜しくもダービー2着馬のライスシャワーに敗れてしまいました…

5・平成5年ウイニングチケット、三強が分け合った三冠レース、柴田政人騎手悲願の制覇!

平成5年の三冠レースは皐月賞ナリタタイシン、菊花賞ビワハヤヒデと三強が分け合ったレースとなり、ゴール前で三頭の争いに興奮したのがつい先日のようで最後に半馬身抜け出して柴田政人騎手悲願のダービー制覇となった!

6・平成6年ナリタブライアン、シャドーロールの怪物が難無く二冠達成!(その後史上五頭目の三冠馬に)

兄ビワハヤヒデとは対照的に圧倒的な脚力で他馬をねじ伏せて単勝1.2倍のダービーでも5馬身差の圧勝劇を演じて史上5頭目の三冠馬に輝く。 他の17頭を引き連れて来る写真が撮りたくて正面から超望遠レンズで狙うも外目を走ってきたイマイチに… 慌てて持ち替えた短めのレンズでガッツポーズを拾う。

7・平成7年タヤスツヨシ、サンデーサイレンス産駒初のダービー馬

日本競馬を席捲したサンデーサイレンス産駒初のダービー馬、そして偉大な父を13年連続リーディングサイヤーにする第一歩となった。 個人的にサンデーサイレンス産駒にしては地味な印象があり、このダービーも暗い曇りの中で行われたのであまり思い出が無い。

8・平成8年フサイチコンコルド、和製ラムタラがキャリア3戦目で掴んだ栄光

和製ラムタラの異名を持つフサイチコンコルドが三戦目というキャリアで頂点に立った平成8年、圧倒的な1番人気のダンスインザダークを外からクビ差捉えて藤田伸二騎手の大きなガッツポーズが飛び出した。 結構難しいレースだったので最終的に外に振った当時の自分を褒めてあげたい(笑)

9・平成9年サニーブライアン、逃げて逃げて二冠達成「1番人気は要らない1着が欲しい!」と大西騎手

皐月賞を11番人気で制し、ここでも6番人気に甘んじてたサニーブライアンがすいすいと逃げ切って二冠達成。 しかし残念ながら故障によりこのレースで引退となった…

10・平成10年スペシャルウィーク、武豊騎手初のダービー制覇は5馬身差の圧勝劇

数々のG1レースを勝ってきた武豊騎手がまだ手にしていなかった「ダービージョッキー」の勲章を5馬身差の圧勝劇でプレゼントしたスペシャルウィーク!

天才騎手がムチをレース中に落としてしまう程のダービーの特別感は我々カメラマンにとっても同じでこのレース写真でワタシ初のJRAカレンダーのダービーに採用されました(やっぱりダービーは特別ですね♪)

2へつづく